30)FADOを見て FADOを感じて FADOに触れて FADOを知って!
30)
See fado Feel fado Touch fado Know FADO ❗️
いよいよ次のライブまで2週間となりました。
前回の東京でのライブでは、緊張のあまりマイクを持つ手が震えて困惑した程だったのですが、ポルトガルで2回も突然お客様の前で歌う事になり、失敗もありましたがその経験は私に大変高い経験値を与えてくれました。
やはり人間はどのような職業でも趣味でも
経験を積む事。
その経験によって自信を持つ事。
自信を持つ事によって余裕を持つ事。
それが自分の技を磨くのに一番大切な事だと思います。
だから、ポルトガルでの経験は私の宝です。
そしてCDの発表時期もだんだん見えてきました。
今回のCDでは、ポルトガルに滞在して実際にレコーディングしたり、現地で歌ったりしていたあの時間より、日本に帰って来てからその音源をCD作品としてまとめ上げる作業の方が苦しく濃く長い時間でした。
毎日毎日、どうしたら「いい曲だなあ」「もう一度聞きたいなあ」と思っていただける音を作れるか、そればかり考えていました。
人が聞いて「いいな」と思う音楽にはジャンルは全く関係ありません。
何の予備知識も無く、突然ラジオから音楽が流れてきてもそれが素晴らしい作品であれば、多くの人が「良い曲だな」と感じるのが普通ではないでしょうか。
それがボサノバだろうと演歌だろうとロックだろうとクラシックだろうと、良い作品は「良い!」と思わせるパワーを持っているのです。
身の程知らずだと思われるかもしれませんが、私はそのレベルの作品を目指しました。
ファドというジャンルに関係なく、聞く人が「良い曲だね!」と感じる音楽。
その為に何回も何回も歌を歌いなおしました。
声のニュアンス、語尾の息づかい、ビブラート、思いつくことは全て試して比較してみました。
マイクにもいろいろ工夫して、ヴォーカルの音色がどうしたらその曲に一番ふさわしい音で録れるかも試しました。
私の納得が行く迄レコーディングさせてくれたプリモレコードの内山氏、もう耳にタコができる程私の歌に付き合って戴きました。
でも、お陰様で今私に出来る最大限の音は録れたと思います。
古典のファドらしい曲から、映画にも使われた有名な曲、アマリア ロドリゲスの定番など、色々な曲を取り混ぜて収録することが出来ました。
日本ではまだFADOのCDは20枚もでていないと思いますが、そこに並ばせていただいて恥ずかしくない作品が出来たと自負しています。
私のポルトガル語の発音は先生が死物狂いで直して下さいました。
一つの曲の歌詞を二時間読み続けさせられた時は先生も私も倒れそうでした。
あまりにも同じ言葉を何回も言わされたので、一時期はその歌が歌えなくなってしまいました。
スランプというものでしょうか。
でも、そんな先生の特訓のおかげで発音もだいぶ良くなったはずです。
ジャケットの写真。
とってもとってもとっても美しい写真を提供して下さったのは友人のアーティスト伊澤さんです。
このジャケットは私は勝手に世界一美しいジャケットだと思っています!
是非、聴くだけでなく飾っていただけたら最高です。
そしてライブ。
ファドという音楽はほとんど日本では認知されていないので
「今度ファドのCDだしますよ〜!ファドのライブやりますよ!」と言っても、「ファドって何?」と、その意味さえ理解していただけないのが現実なのです。
ですからファドのライブは、ポルトガル料理のレストランとか、大使館のイベントとか、ポルトガルとファドに関して元々理解している人が集まる場所だけでしか実現しません。
そのポルトガル料理のお店でさえ日本には数軒しか有りませんし、やったとしても月に1〜2回しかライブはやりません。
毎晩入れ替わり立ち替わり複数の歌手が歌っているファドハウスがあちこちに有るリスボンとは大きく異なります。
ファドに触れる機会がこれだけ少ないのですからファドを知る人が増えないのも当然ですよね。
日本のファドを取り巻く環境は本当に狭いのです。
世界文化遺産だというのに、とても残念なことです。
そんな中に私のように突然「ファドを歌います!」と新人が現れても活動の場所なんて有るわけもありません。。
どうやって自分のファドを聞いてもらったらいいんだろう?
悩みました。
そんなとき、古くからの私の友人知人達が手を差し伸べてくれました。
まず、中学生時代から一緒にバンドをやっていた仲間で、Show-yaのギタリストsun-goこと五十嵐美貴が私の為に、いつも自分がお世話になっているライブハウスに私を紹介してくれました。
新代田にあるブギーストックです。
このお店は昭和の懐かしい感じがするいいお店です。
ポルトガルでギタリストのティアゴが演奏していた地元の人しか来ないような郊外のファドハウスの雰囲気に似ています。
このお店でのライブにはプリモレコードの作曲家、内山肇氏がポルトガルギター演奏に挑戦してゲスト出演してくれます。
ポルトガルギターのプレイヤーは日本に10人も居ません。
そこに一人新人を増やす事ができたわけです!!
これはすごい事です!
また、南青山のマンダラ。
ここは私が若い頃から大変お世話になった吉祥寺のマンダラ(曼荼羅)の系列店です。
マンダラの方々は皆家族のように私に接して下さり、特に今は亡きママさんには私は大変な恩義を感じています。
私がまだ20代前半の頃の話ですが、ママさんは何故か若い私に目をかけてくださっていつも見守ってくれました。
私のライブのパフォーマンスを見て、ほんの少しのしぐさや歌い方の工夫を見抜いて私が何を表現したかったのか理解してくれるのもママさんでした。
アーティスト、ヴォーカリストとしてまだまだ模索中だった私はママさんとマンダラの皆さんのおかげで、失敗したり苦しんだりしながらも歌い続ける場所をいただいていました。
あの当時だって他に立派なミュージシャンは沢山出演していたのに、私のような歌手にも生きる場所を与えてくれた懐の広いマンダラです。
そうやってマンダラは数多くのミュージシャンを育ててくれました。
老舗中の老舗ライブハウスです。
特にそのママさんの生き様からは、私は多くの刺激を受けました。
或る時、「フラメンコの発表会を企画したから見にいらっしゃい」と、出来たばかりの吉祥寺のマンダラ−2に招待して下さいました。
「??フラメンコ?」「ロックのライブハウスで?」
これには本当に感動させられました!
出来たばかりのマンダラ2の真新しい舞台に沢山のフラメンコダンサーが並び、その中心で背筋をのばして踊るママの姿。
40才過ぎてからフラメンコを始めて、若い女の子に混じって発表会の舞台で踊るんですよ!
女性に対して若さばかり求める日本の社会で、歳を重ねた女性がどんなに生きにくいか、、、今同じように歳を重ねた私には解ります。
若い人にこびる事も無く、ママさんはありのままの自分の姿で堂々と舞台に立っていました。
すごい人です!
それに比べたら今の私なんて、少しでも若く見える様にとか、マイナス5才肌とか、そんな事ばかり考えてしまいます。
さらにその発表会にはママさんのアイディアでバイキング形式のお料理も並んでいました。ロック系のライブハウスできちんとしたお食事も提供したのはあれが初めてだと思います。
そんなママさんは、足を痛めてフラメンコが踊れなくなったら今度は日本舞踊を始めて、国立劇場にソロで出演するまでになったんですよ!!!
おばさんの趣味ではないですよね。
本物のプロの根性を感じます。
ママさんの生きた姿勢は、全ての熟年女性のお手本になると思います。
残念ながらママさんは数年前に病気で亡くなってしまいました。
ママさんにもう逢えないというのはほんとうに辛い事です。
きっとそのママさんが私の背中を押してくれていると思います。
ママさんがフラメンコに出会ったように、私もファドに出会いました。
ママさんが堂々と自信を持ってフラメンコや日舞を極めようとしたように、私もファドを極めたいと思います。
そのご縁で9月28日月曜日には南青山マンダラで『CD発表記念ライブ』をさせていただく事になりました。このライブにはポルトガルからティアゴも駆けつけて本場のギターを聞かせてくれます。
これらのライブでは私は目標を定めています。
それは
ファドを知らない人にファドを知ってもらい
ファドを好きになってもらい
友達を誘ってまたライブに来たいと思ってもらい
その友達にもファドを好きになってもらい
ファド人口が増える
そんなライブをすることです。
私には大それた夢ですが
大丈夫!
ママさんが私に道を示してくれています。