『FADOの有る生活 A vida com Fado』  ポルトガル音楽ファドを愛する私のブログ Eu sou uma cantora japonesa cantar fado.      Fado修行の日々や地中海地方の文化についても綴っていきます

ポルトガルの #FADO(ファド)を歌う渡辺エマのブログです。FADOやポルトガルについて紹介します。ポルトガルには他にもワインや料理、世界遺産等魅力が一杯!サッカーのロナウドの故郷でも有ります。

11)リスボンに来ました!

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11)ボンディア!
昨夜遅く、フランクフルトを経由してリスボンに到着しました。
今回の旅の目的は、勿論FADO修行です。
ポルトガル語の勉強でお世話になっている先生に色々とアドバイスして頂きながら、私のファドのブラッシュアップと現地ポルトガルギターのギタリストとのレコーディング等を計画しています。

ボーカリストとして今更こんな事を言うのは本当に恥ずかしい事なのですが、Fadoの歌を歌う様になって、歌えば歌う程、「歌を唄う」という事の奥の深さを感じています。
「歌う」とは、例えば、一枚の折り紙の端をピッタリ揃えて1ミリの隙間も無く美しく折り畳んで芸術的な形を作り上げるような作業のようなものだと思うのです。
どこか一部でもズレたりしたら台無しですよね。
折り鶴だとしたら、折り鶴の羽の先、くちばし、首、胴体すべてがぴったりと美しく決まる様に折る為には、一番はじめに正方形の折り紙をぴったりと半分に折るところから正確さが要求されます。
歌も、言葉の発し方、語尾ののばし方、強弱の表現、息づかい、、、、すべてに繊細な工夫が要求されます。これは折り鶴の羽の先をピンと綺麗に折るのと同じ事なのです。
また、ボーカリストは自分の身体を常に最高の状態に保っていなければなりません。
ボーカリストにとっては自身の身体そのものが楽器だからです。
ボーカリストは何の楽器も使いませんし、身体一つで出来るので簡単なような気がしますが、それは大変な誤解なのです。
先々週体調を崩した時に、痛い程その事を思い知らされました。
不調の時は(特に耳や頭)いくら懸命に練習しても、音程一つ合わせる事も出来ないのです。
かといって、ボーカリストは機械ではないので、正確さだけではなく、生身の人間としての微妙な気持ちも歌に込めて表現しなければなりません。
これらをファド歌手はどのように実践しているのでしょう?
ファドには普通楽譜も有りませんから、歌手はみな耳だけで曲を覚ています。
或る意味とても原始的な方法で歌い継がれている音楽です。

今日はこれからリスボンの音楽学校の先生のお宅でヴォーカルレッスンです。
ポルトガル語もまだまだの私。。
どうなる事やら、、、、。
また報告しますね!

最後にリスボンらしい光景を二つ。
ホテルのクッションに「SAUDADE」の文字が!!!
サウダーデとは哀愁とか郷愁という意味で、FADOの魂ともいえる言葉です。

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流石リスボン。ホテルの朝ご飯に鰯が!
アメリカ人の観光客は見向きもしませんが、これは美味しかったです。モッツァレラとトマトと共に軽く塩とオリーブオイルでいただきました♪

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