『FADOの有る生活 A vida com Fado』  ポルトガル音楽ファドを愛する私のブログ Eu sou uma cantora japonesa cantar fado.      Fado修行の日々や地中海地方の文化についても綴っていきます

ポルトガルの #FADO(ファド)を歌う渡辺エマのブログです。FADOやポルトガルについて紹介します。ポルトガルには他にもワインや料理、世界遺産等魅力が一杯!サッカーのロナウドの故郷でも有ります。

10)遠い時代のFADOとライブ

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10)ファドのルーツは何処からなんでしょうか?

*地中海を越えて侵略して来たイスラム世界から伝わった
ポルトガルが植民地支配していたブラジル等の奴隷が持ち込んだ
*中世の吟遊詩人の音楽だった
等々
色々な説が有りますが、どの説もはっきりとした根拠を示せていないようです。
ファドはそんなに大昔の音楽ではないのに、ルーツが解らないのは残念ですね。
では、もう少し近い時代にはファドはどんな音楽だったのでしょうか。

現代ではファドを歌う人をFadista(ファディスタ)と呼びますが、19世紀頃はFadistaとは娼婦やならず者を指した言葉だったそうです。
ですからその時代のファドは、安酒場や売春宿で歌われる音楽だったのです。

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その19世紀中頃、リスボンにMaria Severa(マリア セヴェーラ)というFadistaが居ました。
彼女はとても容姿端麗で歌も上手でした。

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或る時、お忍びでファドの流れる安酒場にやって来た貴族がマリアに恋をして、マリアは玉の輿にのりました。
それ以降、流行に敏感な貴族達の間で昼間に闘牛を楽しんで夜には安酒場でファドを聴くという遊び方が流行ったのだそうです。
こうして下層階級の音楽だったファドが、上流階級に認知されるようになりました。
貴族社会の後ろ盾を得て、ファドは芸術として洗練されていったのです。

しかし、ポルトガルが独裁政権になると事情は変わり、ファドは政治の道具として利用される様になります。
そもそも「Fado」とは運命とか宿命という意味です。
生活や人生の苦しさ、ままならなさを「これも運命か」と片付けてくれるファドは、厳しい言論統制や、国費の半分を植民地戦争につぎ込んでしまっていた独裁政権への人々の不満をかわしてくれる絶好の道具だったことでしょう。
その後革命を経て、現在のファドがあるわけですが、そのへんはまたいつか書こうと思います。

さて、先日の六本木でのライブには沢山のお客様がお見えになり、本当に楽しい夜になりました。ご来場下さった皆様、お店の皆様本当に有り難うございました。
準備したプログラムもなんとかお役に立てたようで安心しました。
反省点は多多多多多々(汗)有りますが、次までの宿題にさせていただきますね!
大人の音楽としてしっとりと始めたはずのライブですが、終わる頃には笑い有り、ギャグ有り、つっこみ有りになっていたのはあれれ?これもファド、うん運命ですね!笑

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ファドの歴史の締めくくりとして、「ファドの種子」といわれる17〜18世紀のポルトガル歌曲を歌っているAna Quintansさんの「Foi por mim, foi pela sorte 」(これも私の為の運命)という曲をご紹介します。

どうですか?ちゃんとファドの味がしませんか?

 


Quintans_Foi por mim, foi pela sorte - YouTube

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