23) 4月25日 革命とFADO
23)ポルトガルでのレコーディングを終えてから、約3週間。
今は、持ち帰ったレコーディング音源をミックスする作業をしています。
ミックスとは、レコーディングスタジオで録音したそれぞれの楽器(もちろん歌も)の音の響きやヴォリューム、位置等をバランス良く組み合わせて一つの合奏作品として完成させる作業の事です。
海外でのレコーディングという事も有り、持ち帰ったデーターに予想外に手直しが必要な部分等も有りましたが、ミックスは順調に進んでいます。
蓮見氏のギターとTiago君のギターのコンビネーションも素晴らしいです。
しかし、私達が思いもしなかった事だったのですが
録音して来た音には
なんというか、、、
我々があの時
あのリスボンの町で
生きて
そして全力でぶつかっていた
「三人の戦いの瞬間」
が封じ込められているのが感じられるのです。
いや、感じられるというよりも「ほとばしっている」という方が正しいかもしれません。
そうですよね。
蓮見氏とTiago君は会ったばかりの外国人同士
そして私はといえば
長い長い歌手休業から復帰したばかり。
みんなにとって、決して簡単な事ではなかったはずです。
リラックスした状態で録った音とは違う緊張感がひしひしと伝わってきます。
今思い返しても、あのスタジオでの空気は、今まで味わった事のない空気でした。
お互いの琴線を最高に響かせ合おうという難しい作業にあたりそれぞれが全力で格闘したという気迫が、美しい音の後ろに感じられます。
例えて言うなら、パコデルシアとリッチーブラックモアと病院を脱走したジャニスジョップリンが初対面でセッションしているような、、、。蓮見氏はもちろんリッ、、、♪♪
あ、ここは笑って下さいね。
この緊張感に満ちた音が録れただけでも、遠いリスボンまで行った甲斐が有りました。
音楽を再開して本当に良かったと思います。
<4月25日 >
さて、今日4月25日はポルトガルの革命記念日です。
1974年4月25日、半世紀近く、ヨーロッパで最も長く続いたサラザール独裁政権から市民が開放されたのです。
革命の前夜、10時55分、一曲の音楽がリスボンのラジオ局から流されました。
「エ・デポイス・ド・アデウス」です。
これは、軍の青年将校達に革命を始める合図として使われました。
さらに、日付が変わって25日午前0時25分、反体制派歌手ジョゼ・アフォンソによる革命に向けた歌「グランドラ・ビラ・モレナ」が流され、それを合図に国軍運動の将校たちが、空港、警察、国会等を占拠したのです。
また、このとき青年将校達は銃撃命令を拒み発砲する事は有りませんでした。
戦闘が起きる事なく無血で革命が成されたので、軍人は自分達の銃口の先に赤いカーネーションを挿して、無血で自由を勝ち取った事を宣言しました。
このために、この革命は「カーネーション革命」と呼ばれています。
独裁政権とFADOにも深い関わりがあります。
独裁時代、サラザール政権は国費の半分を植民地戦争等につぎ込んでいました。
それによって起こる国民の不満をかわす為に政権はFADOを利用したのです。
政権がFADOを保護し、人々の娯楽として利用したという事でしょうか。
ですから、革命の後しばらくはFADOは人々からネガティブな扱いを受けていたようです。
死亡した時に国中が喪に服したほどポルトガル人に愛されているアマリアロドリゲスも、革命直後は独裁政権側の人間として人々に批判されました。
そういう辛い時代はわりと長く続いたようです。
そういう事もあって、アマリアは海外に多く出て行ってコンサートを繰り返していたのかもしれませんね。
人々に愛され、憎まれ、また愛され、、、
FADOという音楽の歴史は短いですが複雑な側面を持っている音楽だという事が分かると思います。
次回はポルトガルでのとりとめのないあれこれ(食べ物とか、ホテルとかetc)を書こうと思います。
お楽しみに!
私達がリスボンで録った動画をyoutubeにupしました↓↓↓
今回Upした3曲はあまりFADOっぽくない曲ばかりですが、いずれもアマリアロドリゲスのレパートリーで有名な美しい曲です。
この他に、いわゆるFADOっぽい曲もレコーディングしてきましたので、いずれご紹介しますね!